アメリカのテクノロジー企業インターナショナル・ビジネス・マシーンズ(IBM)は、今後数年以内に世界初の「大規模・フォールトトレラント量子スーパーコンピューター」の構築を目指すという新たなロードマップを発表しました。新型量子コンピューターの名称は「IBM Quantum Starling」となっており、論理量子ビット200個を用いて1億回の量子演算を可能にする設計です。
この発表を受け、IBMの株価は6月10日の米国市場で1.2%上昇し、275.5ドルあまりりで取引されています(米国東部夏時間14:00現在)。取引中には一時277ドルに達し、過去最高値を記録しました。また、同社の時価総額は史上初めて2,500億ドルを突破しました。
エラー耐性が鍵となる量子コンピューター開発
量子コンピューターの普及を阻む最大の課題のひとつが「エラーの発生」です。量子ビット(qubit)は環境の変化に非常に敏感で、計算の信頼性を保つのが難しいとされてきました。
この問題に対し、IBMは「論理量子ビット」の採用とともに、データ伝送を最適化する「低密度パリティ検査符号(low-density parity check code)」を活用する方針を示しています。これはエラー訂正に有効とされる手法です。
IBMの量子部門副社長であるジェイ・ガンベッタ氏は、「エラー訂正のコードを突破できたと感じている。今後は主にエンジニアリングの問題になる」と語っています。
IBM Quantum Starlingは2029年の実現を目指す
IBMの発表によれば、Quantum Starlingは現時点で完成されたコンピューターではなく、あくまで2029年の実用化を目標とした設計図にあたります。しかしIBMでは、実現可能と確信できる目標しか公開しない方針を掲げており、今回のロードマップにも強い自信を持っていることが伺えます。
さらに、IBMはこの構想に関する2本の技術論文も発表しました。量子ゲートの操作方法やリアルタイムで実装可能なデコーダーの開発手法など、詳細なアーキテクチャが説明されています。
現在、ニューヨーク州ポキプシーのIBMキャンパスでは、すでにシステムの構築が進められており、実用化に向けた技術的課題への取り組みが本格化しています。
小規模な「実験」よりも大規模システムの構築に注力
ガンベッタ氏は、量子コンピューターの進化にはスケーラビリティの検証が重要であると強調しており、小規模な実験的アプローチよりも、実用規模のシステム構築を重視する姿勢を示しました。
「IBMがこの分野において一貫しているのは、実用的な学びが得られない小規模な実験を避けてきたことです。私は“ガジェット実験”のような小規模な検証には関心がありません」と語っています。
強まる競争の中でも独自路線を堅持
量子コンピューティング分野では、マイクロソフト(MSFT)やアマゾン・ドット・コム(AMZN)などの大手企業も参入を進めていますが、IBMは独自のゲートベース量子計算アーキテクチャを継続しています。このアーキテクチャは、リゲッティ・コンピューティング(RGTI)などの量子専業企業も採用しており、従来型コンピューターと比べて指数関数的なスピードアップを実現できることから高く評価されています。
ガンベッタ氏は「ゲートベース方式こそが、古典的な計算機との間で指数関数的なスピードの差を生み出せる唯一の方法です」と述べています。
量子時代に向けたIBMの長期戦略
IBMは1911年に創業し、1924年に現在の社名へと変更されました。パーソナルコンピューター市場での競争に敗れた20世紀末には、ハードウェア中心からソフトウェアとサービス中心へと大きな転換を行いました。
量子コンピューター分野においても早期から参入しており、2000年には初の動作確認済み量子コンピューターを公開。2016年にはクラウド上で5量子ビットの超伝導量子コンピューターをリリースし、2019年には「IBM Q System One」を発表しました。
今回のQuantum Starling計画は、その延長線上にある一大プロジェクトであり、量子時代の幕開けに向けた長期的な布石となるものです。
量子コンピューティングの未来を見据えて
量子コンピューターの実用化は、金融、薬品開発、材料設計、暗号解読など多くの分野に革命をもたらす可能性があります。IBMは他社との直接的な競争よりも、量子コンピューティング全体のエコシステム拡大を重視しており、スタートアップ企業の参入も歓迎する姿勢を見せています。
「この分野では、一社がすべてを支配するのではなく、複数の企業や研究者がアルゴリズムやアプローチで創造性を発揮する時代になると思います」とガンベッタ氏は語っています。
IBMが示した量子スーパーコンピューターへの道筋は、今後のテクノロジー産業全体にとっても極めて重要な転換点となる可能性があります。2029年という目標に向け、世界中がその進捗に注目しています。
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